分子系統学の解像度 第3回
ITS(核リボソームDNA)の役割と問題点
はじめに
前ページで見たように、cpDNAは母性遺伝という単純な遺伝様式ゆえに扱いやすい一方、進化速度の遅さから種レベルでの解像度を欠くという構造的な限界を抱えていました。この限界を補う目的で1990年代半ば以降、被子植物の系統推定において急速に普及したのが、核リボソームDNA(nrDNA)の内転写スペーサー領域、すなわちITS(Internal Transcribed Spacer)です。本ページでは、ITSがなぜ種レベル解析に適しているのかを理論的に整理したうえで、ITS特有の限界である多コピー性の問題、すなわちconcerted evolution(協調的進化)について、簡単な数理モデルを交えて論じます。
1. ITS の進化速度
nrDNAは18S–5.8S–26S(あるいは28S)のrRNA遺伝子と、それらの間に位置する二つの転写後除去領域、ITS1およびITS2から構成されます。rRNA遺伝子本体はリボソームの構造的機能を担うため強い機能的制約のもとにあり、進化速度は極めて遅く保たれていますが、これに挟まれたITS領域は成熟rRNAへのプロセシングの過程で除去されるため、機能的制約が相対的に緩く、コード領域よりも速い速度で塩基置換が蓄積します。この速度は、多くの被子植物においてcpDNAの主要なコード領域よりも一桁程度速いと見積もられており(Baldwin et al., 1995)、Jukes-Cantorモデルの枠組みに即して言えば、前ページで示した置換速度パラメータ μ がcpDNAに比べて有意に大きい状態に相当します。同じ経過時間 t に対してより大きな p(観測される置換割合)が得られることが、ITSが種レベルの系統的シグナルを保持しやすい理論的根拠です。
2. 種境界の判定に有効な理由
進化速度が速いことに加え、ITSは核ゲノム由来であるため両親由来の遺伝情報を反映するという点で、母性遺伝に限定されるcpDNAとは根本的に異なる情報源となります。この性質により、ITSは種分化直後の近縁種間、あるいは種内の地理的変異集団間の系統関係を解像する上で有効なマーカーとして位置づけられてきました(Álvarez & Wendel, 2003)。とりわけ、cpDNA単独では多分岐として崩れてしまうような急速な放散を経た分類群において、ITSは追加的な変異情報を提供し、系統仮説の解像度を実質的に引き上げる役割を果たします。また両親由来の情報を反映するというITSの性質は、後述するように交雑起源の検出という文脈でも重要な意味を持ちます。
3. 多コピー問題(concerted evolution)
ITSを含むnrDNA領域は、ゲノム中に数百から数千コピーという単位でタンデムに反復配置されており、この反復単位群は不等交叉(unequal crossing-over)や遺伝子変換(gene conversion)といった分子機構を通じて、コピー間の配列が互いに均質化される傾向を持ちます。この現象はconcerted evolution(協調的進化)と呼ばれ、単純化されたモデルでは、二つの反復単位間の配列的分岐 D(t) の時間変化は、次のような指数的減衰として近似的に表すことができます。
ここで D₀ は初期時点における配列間の分岐度、c は不等交叉や遺伝子変換によるコピー間の均質化速度(concerted evolutionの速度定数)を表します。この式が示す本質は、コピー間の配列的分岐が新規置換によって蓄積される速度と、均質化過程によってそれが打ち消される速度との間の動的平衡にあるということです。均質化速度 c が十分に大きければ、アレイ内の反復単位はほぼ単一の配列型へと収束し、単一コピー領域であるかのように扱うことができます。しかし c が小さい場合、あるいは倍数化イベントによって由来の異なる複数のrDNAアレイがゲノム内に同時に存在する場合には、均質化が不完全なまま複数の配列型(パラログ)が並存し続けることになります。これは特に異質倍数体(allopolyploid)に由来する分類群において顕著であり、両親種に由来する非相同(homoeologous)なITSコピーが完全には均質化されないまま維持される事例が数多く報告されています。
4. ITS が誤解を生むケース
この多コピー性は、実務上いくつかの深刻な問題を引き起こします。第一に、PCR増幅の過程で複数のパラログが同時に増幅された場合、ダイレクトシークエンシングではこれらが重複ピークとして検出され、正確な配列決定そのものが困難になります。第二に、より深刻な問題として、機能を失った偽遺伝子化コピー(pseudogene)が、機能的コピーと並行してゲノム内に維持されている場合、これらが区別されないまま系統解析に用いられると、実際には存在しない系統関係が推定されてしまう危険があります。偽遺伝子化コピーは機能的制約から解放されているため、しばしば機能コピーとは異なる進化速度・パターンを示し、系統樹上で見かけ上の長い枝や、不自然な位置への配置として現れることがあります。第三に、異質倍数体に由来する分類群では、不完全な均質化によって片方の親に由来する配列型のみが増幅・解読され、もう一方の親系統との関係が系統推定から欠落してしまうことがあります。多肉植物群、とりわけ倍数化を頻繁に経験する分類群では、この問題への留意が特に重要です。
5. cpDNA と ITS の不一致(gene tree discordance)
ITSとcpDNAは、遺伝様式(両性遺伝か母性遺伝か)、ゲノム上の存在様式(多コピーか単一系譜か)、進化速度のいずれにおいても性質を異にする独立した情報源です。したがって、この二つのマーカーから推定された系統樹がしばしば互いに矛盾するという現象は、単なる解析上の誤りではなく、理論的にも予測される帰結です。この不一致は、不完全な系統ソーティング(incomplete lineage sorting)や種間の遺伝子流入(introgression)といった、集団遺伝学的過程に由来する遺伝子樹と種樹の乖離として一般化して理解することができます(Maddison, 1997; Degnan & Rosenberg, 2009)。cpDNAが母性側の系譜のみを、ITSが(不完全な均質化のもとでは)両親双方に由来する情報を反映しうるという非対称性は、両者の不一致がとりわけ交雑起源の分類群において顕著に現れる理由でもあります。この意味で、cpDNAとITSの不一致は解析上の障害であると同時に、種分化史や交雑史を読み解くための情報源としても積極的に活用されうるものです。次ページで扱うmulti-locus解析は、まさにこうした複数マーカー間の不一致を統合的に扱うための枠組みとして発展してきました。
おわりに
ITSは進化速度の速さと両性遺伝という性質により、cpDNAの限界を補う重要なマーカーとして種レベル解析の中心的役割を担ってきました。しかしその反復配列としての性質は、concerted evolutionという固有の力学を通じて、パラログの並存、偽遺伝子の混入、異質倍数体における不完全な均質化といった、単一コピーマーカーには存在しない特有の問題を生み出します。cpDNAとITSという性質の異なる二つの情報源が示す不一致は、種分化過程そのものを反映する重要なシグナルでもあります。次ページでは、この不一致をより体系的に扱うためのmulti-locus解析と、遺伝子樹・種樹間の乖離を理論的に整理する枠組みについて論じます。
参考文献
- Álvarez, I., & Wendel, J. F. (2003). Ribosomal ITS sequences and plant phylogenetic inference. Molecular Phylogenetics and Evolution, 29(3), 417–434. https://doi.org/10.1016/S1055-7903(03)00208-2
- Baldwin, B. G., Sanderson, M. J., Porter, J. M., Wojciechowski, M. F., Campbell, C. S., & Donoghue, M. J. (1995). The ITS region of nuclear ribosomal DNA: A valuable source of evidence on angiosperm phylogeny. Annals of the Missouri Botanical Garden, 82(2), 247–277. https://doi.org/10.2307/2399880
- Degnan, J. H., & Rosenberg, N. A. (2009). Gene tree discordance, phylogenetic inference and the multispecies coalescent. Trends in Ecology & Evolution, 24(6), 332–340. https://doi.org/10.1016/10.1016/j.tree.2009.01.009
- Maddison, W. P. (1997). Gene trees in species trees. Systematic Biology, 46(3), 523–536. https://doi.org/10.1093/sysbio/46.3.523
- Nei, M., & Rooney, A. P. (2005). Concerted and birth-and-death evolution of multigene families. Annual Review of Genetics, 39, 121–152. https://doi.org/10.1146/annurev.genet.39.073003.112240