分子系統学の解像度
第1回 分子系統学の歴史と原理 ── cpDNAからITS、multi-locus、核ゲノム解析へ
はじめに
植物の分類体系は、長らく花の形態や果実の構造といった外部形態形質にもとづいて構築されてきました。しかし1990年代以降、DNA配列を用いた系統推定、すなわち分子系統学(molecular phylogenetics)の発展により、植物の類縁関係の理解は大きく塗り替えられることになりました。本稿では、分子系統学がどのような歴史的経緯をたどって発展してきたのか、そしてそれぞれの解析手法がどのような原理と限界を持っていたのかを概観します。本シリーズ全7ページの導入として、続く各論(cpDNA、ITS、multi-locus、核ゲノム解析)を理解するための基礎的な地図を提供することを目的としています。
1. 分子系統学の誕生(1990年代)
分子系統学がひとつの独立した研究領域として確立したのは、1990年代のことです。それ以前の系統推定は、主として形態形質の類似性にもとづく表形分類(phenetics)や、共有派生形質を重視する分岐分類(cladistics)によって進められていました。しかし形態形質は収斂進化(convergent evolution)の影響を強く受けやすく、とりわけ乾燥環境に適応した植物群では、系統的に遠縁の分類群同士が酷似した形態を独立に獲得することが少なくありません。この問題を克服する手段として、DNA塩基配列という、より中立的で定量可能な情報源が注目されるようになりました。PCR技術の普及と、サンガー法によるダイレクトシークエンシングのコスト低下が、この転換を技術的に支えました。
2. cpDNA(rbcL, matK)の時代
分子系統学の初期を牽引したのは、葉緑体DNA(cpDNA)を用いた解析でした。なかでも rbcL 遺伝子は、比較的初期からDNAバーコーディングの標準領域として採用され、広範な分類群を横断する系統推定に用いられてきました(Kress & Erickson, 2007)。cpDNAは母性遺伝し、組換えを起こしにくく、コピー数が均一であるという扱いやすさから、属間・科間といった比較的高次の分類階級における系統推定に適した情報源とされてきました。一方で、cpDNAは核ゲノムに比べて進化速度が遅く、種、あるいは近縁種群のレベルでは十分な変異が蓄積されないという限界も早くから指摘されていました。この限界については、次ページで詳しく取り上げます。
3. ITS の登場と種レベル解析
cpDNAの解像度不足を補う手段として1990年代半ばに広く採用されるようになったのが、核リボソームDNA内転写スペーサー領域(ITS: Internal Transcribed Spacer)です。ITSは進化速度が比較的速く、種間の変異を捉えやすいことから、種およびその近縁群レベルでの系統推定において中心的な役割を果たすようになりました(Baldwin et al., 1995)。ITSの導入によって、cpDNA単独では区別できなかった近縁種間の類縁関係が明らかにされる事例が相次ぎ、被子植物全体の系統推定における標準的なマーカーのひとつとして定着しました。ただしITSは核内に多コピーで存在するため、concerted evolutionと呼ばれる均質化過程の影響を受けるという固有の問題を抱えており、この点についても次々ページで詳述します。
4. multi-locus の必要性
cpDNAとITSという性質の異なる二つの情報源を用いても、単一領域にもとづく系統樹はしばしば互いに矛盾する結果を示すことがありました。この現象は、単一遺伝子の系統推定が種そのものの系統関係(種樹)を必ずしも正確に反映しないという、より本質的な問題を浮き彫りにしました。この問題への対応として、複数の独立した遺伝子座を組み合わせて解析するmulti-locus解析が発展しました。核遺伝子由来の複数マーカーとcpDNA、ITSを統合的に扱うことで、単一マーカーに起因するバイアスを相対化し、より頑健な系統仮説を構築することが可能になります(Zimmer & Wen, 2012)。この統合的アプローチは、後の核ゲノム規模解析への橋渡しとなる重要な段階でした。
5. 遺伝子樹と種樹の違い
multi-locus解析の発展とともに理論的に整理されるようになったのが、遺伝子樹(gene tree)と種樹(species tree)の区別です。個々の遺伝子座がたどる系譜は、必ずしも種分化の順序と一致するとは限りません。この不一致(gene tree discordance)は、不完全な系統ソーティング(incomplete lineage sorting)や種間の遺伝子流入(introgression)といった集団遺伝学的過程によって生じることが理論的に示されています(Maddison, 1997; Degnan & Rosenberg, 2009)。すなわち、複数の遺伝子座を用いてもなお、単純にそれらを連結(concatenation)して解析するだけでは、真の種樹を誤って推定するリスクが残ります。この問題は、複数系統の分岐が短期間に連続して生じた放散(radiation)を経験した分類群において特に顕著であり、コアレセント理論にもとづく種樹推定モデルの必要性を強く動機づけるものとなりました(Kubatko & Degnan, 2007; Edwards, 2009)。
6. 核ゲノム解析の登場(RAD-seq, target enrichment, WGS)
次世代シークエンシング技術の登場は、分子系統学に第二の大きな転換をもたらしました。RAD-seq(制限酵素部位関連DNAシークエンシング)や、Hyb-Seqに代表されるtarget enrichment法(Weitemier et al., 2014)、さらには全ゲノムシークエンシング(WGS)は、従来の数遺伝子座による解析から、数百から数千規模の遺伝子座を同時に扱う核ゲノム規模の解析への移行を可能にしました。この技術的転換によって、遺伝子樹の不一致そのものを積極的にデータとして扱い、種分化過程や交雑史をより高い解像度で推定することが可能になっています。代表的な大規模プロジェクトとして、被子植物を含む1000種を超える植物トランスクリプトームを比較した研究(One Thousand Plant Transcriptomes Initiative, 2019)は、核ゲノム規模データが植物界全体の系統関係の再構築にどれほど大きく貢献しうるかを示す好例といえます。
7. 分子系統学が分類体系をどう変えたか──APGとの接続
分子系統学の発展は、被子植物の分類体系そのものを大きく書き換える結果をもたらしました。その象徴的な成果が、被子植物系統学グループ(APG: Angiosperm Phylogeny Group)による分類体系です。APG体系は、形態形質にもとづく従来の分類とは異なり、cpDNAおよび核遺伝子の分子系統解析結果を主たる根拠として構築されており、複数回の改訂を経て現在に至っています。この過程は、分子データが単なる補助的情報にとどまらず、分類体系の骨格そのものを規定する主要な証拠として受け入れられるようになったことを象徴しています。とりわけ形態的収斂の著しい多肉植物群においては、この転換の意義が一層大きいものとなります。多肉植物では、乾燥適応という共通の選択圧のもとで、系統的に遠縁の分類群が独立に類似した形態(多肉質の茎、CAM型光合成、棘状構造など)を獲得する事例が世界の主要な多肉植物系統で繰り返し観察されており(Arakaki et al., 2011)、形態形質のみによる分類の限界を象徴する分類群であるといえます。
おわりに
以上概観したように、分子系統学は cpDNA による大枠の把握から、ITS による種レベル解像度の向上、multi-locus 解析による頑健性の確保、そして核ゲノム規模解析による高解像度の種樹推定へと、段階的に発展してきました。それぞれの手法は独自の強みと限界を持ち、後続の手法によって完全に置き換えられたわけではなく、目的に応じて使い分けられているのが現状です。
参考文献
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